配信

8月5日(水)配信 株式会社ユニカルインターナショナル/株式会社イー・ウーマン 代表取締役社長 佐々木 かをり さん

考え方の多様性こそが企業を守る。37年続けた会議と、高校1年で決めた自立。

株式会社ユニカルインターナショナル/株式会社イー・ウーマン 代表取締役社長 佐々木 かをり さん

2026年7月30日 収録 / 聞き手:皆藤愛子

収録スタジオにて。聞き手は皆藤愛子

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「与える人で、い続ける。」

— 佐々木かをり 番組内より

佐々木 かをり (ささき・かをり)

株式会社ユニカルインターナショナル/株式会社イー・ウーマン 代表取締役社長

横浜生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科に在学中、奨学金を得てニューヨーク州エルマイラ大学へ留学。卒業後、1987年に通訳・翻訳等を提供する株式会社ユニカルインターナショナルを設立。96年より日本最大級のダイバーシティ会議「国際女性ビジネス会議」を企画・プロデュースし、前身の勉強会から数えて37年にわたり主催した。2000年には株式会社イー・ウーマンを設立し、ダイバーシティを軸とした企業コンサルティング、ダイバーシティ・インデックスの提供、社外取締役の育成・紹介を手がける。上場企業等の社外取締役、政府審議会委員などを歴任。

Field Note取材メモ

  • 01

    10人いたら、10通り

    会議の席で全員があうんの呼吸なら、事故が起きるか商品が伸び悩む。多様性は危機管理でもある。

  • 02

    個人のダイバーシティ

    いろんな味を食べ、いろんな場所へ行く。元の選択肢がなければ、受け入れることもできない。

  • 03

    37年、たった1人で

    企画も進行もキャスティングも全部1人。10時間・1000人の会議を満足度98%で続けた。

  • 04

    ギバーでいる

    与える人でい続ける。嫌だと思ったことをどう活用するかを考える、修行のようなもの。

皆藤:みなさん、ご機嫌いかがですか。皆藤愛子です。今日からスタートします「皆藤愛子のFIELD NOTES」。記念すべき第一回目のゲストは、株式会社ユニカルインターナショナル、そして株式会社イー・ウーマン代表取締役社長の佐々木かをりさんです。よろしくお願いいたします。

佐々木:よろしくお願いします。

皆藤:初回のゲストとして、女性が活躍する社会を切り開いてきた佐々木さんとお話しできることを楽しみにしておりました。早速ですが、イー・ウーマンはダイバーシティをキーワードに企業コンサルティングをされています。あらためて、佐々木さんが考えるダイバーシティについてお聞かせいただけますか。

佐々木:私自身は、30年くらい前からダイバーシティということを言ってきました。いまは女性の活躍だと思われがちですが、私が重要だと思っているのは、考え方の多様性です。会議の席に10人いると、10通りのアイデアが出る。そうすると健全な議論ができる。全員があうんの呼吸で「そうだよね、赤だよね、イエス」とやっていると、男性だろうが女性だろうが、健全な目線が入らない。すると、事故が起きたり、商品が伸び悩んだりするわけです。多様性があれば、いい商品が生まれたり、「ここが危ないよ」「こんなニーズがあるよ」と言えて危機管理ができる。これが多様性の肝です。ただ、その第一歩が女性であることは間違いない。でも、そこがゴールでもないし、それだけでもない。

皆藤:なぜ、多様性が企業に必要と言われるようになったのですか。

佐々木:私たちイー・ウーマンの仕事は大きく2つで、1つは「ダイバーシティ・インデックス」。その会社にどのくらい多様性があるのか、働く人がどのくらい多様性を理解しているのかを数値化して、経営に使っていただくツールです。もう1つは、社外取締役になりたい人やなっている人を教育したり、企業に紹介したりする仕事。

佐々木:日本の場合は、同じ国籍、同じ背景の人たちが30年、35年勤めると、ご褒美のように役員になっていく。そういう時代が長く続いてしまった。すると、みんな同じことを考えて、忖度しなければならないような会議体ができたり、上下関係ができてくる。これが、いわゆるコーポレートガバナンスの阻害要因になるわけです。取締役会にいろんな年齢や国籍や性別の人がいて、いろんな経験を持ち合うから、1つの経営課題にいろんな対策が出てくる。いまは世界的に株主も、その企業にどのくらい多様性があるかを見るようになりました。

皆藤:一方で、働き手も変わっていかなくてはいけないんですかね。

佐々木:いままでは、有名な会社に入れば、よほど悪いことをしないかぎり、30年後には役職が上がり、退職金が出る。静かに、言われたことだけやっている人が安泰。そういう時代がありました。多様性ということは、その人の良さを発揮しなきゃならないという、逆に厳しい意味もあります。AさんもBさんもCさんも全く同じことしか言わないんだったら、1人でいいし、AIでもいいじゃないか、ということで。

佐々木:私は「個人のダイバーシティ」とも言っています。自分1人の内側ですね。いろんな味のものを食べてみるとか、音楽が嫌いなんて言ってないでコンサートに行ってみるとか。いろんな目線で体験すると、初めて「やっぱり私って日本食が好きだったわ」となるかもしれないし、「インド料理がいいかも」という人も出てくる。元の選択肢がないと、受け入れられないし、聞こえてこなくなっちゃう。だから一人ひとり、いろんな体験をすることですね。

皆藤:個人の中身を豊かにしていくということが大切なんですね。

佐々木:インクルードは含み入れるという意味です。組織としては、いろんなことを考えたり言ったりしている人の意見を組み入れたい。でも結局、組織って一人ひとりで成り立つので。社長さんも、平社員も、アルバイトも、全員がアンテナを張って、いろんな引き出しを持っている。そういう人でいるといいなと思って仕事しています。

皆藤:イー・ウーマンの設立以前、96年から企画・プロデュースされている「国際女性ビジネス会議」。毎年1000人以上が参加する会議ですが、始められたきっかけは。

佐々木:去年で30年目でした。実は違う名前でその前に6〜7年やっていて、去年が37年目です。37年前は、働く意欲のある女性たちが学ぶ場が日本になかったので、私がネットワークをつくって勉強会をして、その年次大会のような感じで。でも、それだとグループの人しか来られない。だから「国際女性ビジネス会議」という大きな名前に変えて、全国からいろんな人をお招きして、10時間、1000人ぶっ続けで。満足度98%が30何年続いたんです。誰も眠らないし、帰らないし、廊下にも出ない。企画も進行もキャスティングも、すべて私1人でやってきました。

佐々木:毎年テーマを決めて、基調講演ができるような方50人から70人に、一人ひとり電話やメールでお願いしていく。参加した人が、朝来たときよりも夜帰るときのほうが豊かになっている状況をつくりたいので。登壇するのは、アーティストも、教育者も、経営者も、宇宙飛行士も、科学者もいる。1つのテーマを、いろんな角度から。ダイバーシティ・エンターテインメント的な、でも学びの深いものでした。

皆藤:37年間されてきて、変わったこと、逆に変わらないことはありますか。

佐々木:ゆっくりではあるけれど、社会は変わってきました。その会議に、大きな企業の男性の役員が来るようになったとか、女性の方々が会社の研修として使うようになったとか。でも、日本社会を広い目で見てみると、まだ第一歩です。ジェンダーギャップ指数のランキングも、世界でまだずっと下のほう。日本が歩んでいると思っているスピードよりも、世界はもっと速く変わっている。「進んだよね」と言っているけど、世界から見ると全然進んでいないんです。

皆藤:ダイバーシティのフロントランナーとして多くの方に影響を与えてこられた佐々木さん。その原点はどこにあるのか、学生時代はどんな感じだったんですか。

佐々木:中学1年くらいのときに、親が株とかでお金を失ったらしく、家も土地もなくなって、家族4人で4畳半と6畳の小さいアパートに住んでいたんです。でも、貧しくなったという感覚もないぐらい、ぽーっと生きていました。何か月かたってから「あれ、ピアノがないね」なんて言っているような子だったので。高校1年ぐらいのときに「そっか、私のうちにはあまりお金がなさそうだな」と思って、アルバイトを始めました。それ以来、親には経済支援を受けていないので、大学も留学も起業も全部です。

皆藤:頼まれたわけではなく、ご自身から。

佐々木:そうですね。親にお金を出してもらって大学に行くのは嫌だなと思ったので、初めは「働く」と言っていたんです。進学校だったので「お宅のお子さん、働くって言ってますよ」と親が呼び出されたらしくて。

皆藤:大学は上智大学外国語学部の比較文化学科に進学されて、そこからアメリカへ留学もされています。

佐々木:英語で全部授業をやっているところがあって、TOEFLやエッセー、学長面接があって入りました。海外旅行さえしたことがない人がそこに入ったのは、たぶん私ぐらいなものです。私は一生海外に行くことはないなと思っていたので。だけど、ここならば真面目に勉強ができそうで。どうせ行かれないんだったら、国内留学じゃないですけど、こういうところに行っておけばいいだろう、と。

佐々木:そうしたら、奨学金で1人アメリカの大学に行かれるというのに選んでいただいて。ニューヨークのエルマイラ大学に上智大学生として行って、向こうで取った単位を上智に持ってこられたんです。アメリカでは、ラジオ局で3か月インターンをして、1時間の番組を持たせてもらったこともあります。そのときのテープがあったら面白いなと、いつも思うんですけど。

皆藤:佐々木さんの人生の中で、一番の転機だったなと思うのは。

佐々木:会社も、ただ思って作ったというよりは流れの中で作りましたし、テレビ局のレポーターも応募していないので、偶然そういうものになった。飛び込んできた機会、オポチュニティーに取り組んできた、ということですかね。海外に取材でたくさんのことを見ることができたのも、私の転機になりました。

皆藤:最後に、大切にされている言葉を教えてください。

佐々木:「win-win」という言葉に出会ったのは40年以上前なので、私の中ではすごく基本で。自分にも相手にもいい、というのがすとんと落ちたことと。あとは「ギブ」、与えるという言葉を人の名前にして「ギバー」。与える人でい続けること。相手に役に立っているかなと思うような生き方は、たぶん20代からの基本になりました。あとはいまですと、少し丁寧に生きるっていうのかな。時間の使い方も、人との付き合いも。

皆藤:与え続けるのは、気持ちによってはなかなか難しくありませんか。

佐々木:落ち込むことも、悔しいことも、しょっちゅうあります。でも、それを長く言っていてもしかたがない、という頭をちゃんと持つこと。ギバーでいるというのは、自分が嫌だなと思ったことをどう活用するかになるでしょうね。あんなふうにならないようにしよう、同じように言い返さないようにしよう、と。すてきに、誠実にいるっていう、修行のようなものですよね。

佐々木:ギバーな人って意外といっぱいいるんですよ。逆に、テイカーな人もいる。その人がいるだけで周りが暗くなっちゃうみたいな。何をしてあげても「いや、だってさ」と言いながら上がってこない人とか。そういう人にはなりたくないので、どうせなら、与える人でいられるようにしたいなと思っています。

皆藤:もっともっと伺いたいんですが、お時間になってしまいました。ぜひまた次回お願いしたいと思います。「皆藤愛子のFIELD NOTES」、ゲストは佐々木かをりさんでした。ありがとうございました。

佐々木:ありがとうございました。